2017年度 第一回CD鑑賞会
本年度より、CD鑑賞会で流した曲目の解説をブログにアップしていきたいと思います。皆様是非ご覧ください♪
まずは1曲目
L.V.ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番 「皇帝」
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この曲は、1808年から1809年にかけて、当代きっての大作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)によって作曲されたピアノ協奏曲である。 当時のヨーロッパはナポレオン戦争の真っ只中で、ナポレオン率いるフランス軍が欧州各国への侵略を続けていた。ベートーヴェンの住んでいたオーストリアも例外ではなく、音楽の都としても名高い首都ウィーンはまさに1809年に占領されている。このような不自由な状況下でこの「皇帝」は創造され、1810年に初版が出版された。(ただし「皇帝」は通称である) 曲中で最も印象的なのはやはり第1楽章初めのピアノ独奏だろう。オーケストラが奏でるEs-durの壮麗な和音の中から、ピアノが颯爽と現れ華麗な旋律を歌い上げる。その後もオーケストラとピアノの掛け合いが続き、ますます華やかな響きとなって展開されて行く。そして再現部にて再度そのメロディが現れ終焉へと向かう。ベートーヴェンの重く荘厳なイメージとはかけ離れた、「皇帝」の名にふさわしい華やかで力強い曲である。どうぞお聴きあれ。
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2曲目は
M.アムラン:パガニーニの主題による変奏曲
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1. 概説 マルカンドレ・アムラン(1961-)はフランス系カナダ人のピアニスト、作曲家である。クラシック界において彼はほぼ超人的とも言うべきヴィルトゥオーゾとして知られている。実際彼は今日に至るまで、C.V.アルカンやL.ゴドフスキーをはじめとする、それまでほぼ「演奏不能」と言われてきた作品たちの演奏に次々と成功し喝采を集めている(*1)。 そのような技巧師アムランであるが、しかし我々は彼の父親なしにそのヴィルトゥオジティを語ることは出来ないだろう。いわゆるピアノの達人であった彼の父は、スイスのピアニスト・作曲家であるルドルフ・ガンツ(*2)の練習法を基に『対称的練習法』なる練習法を編み出し、これをまだ幼いアムランに教えたのである。この練習法は、D音、あるいはA♭音を中心として、左右対称の音形を弾くというものであり、アムラン自身はこれを「脳と手が直結する練習法」と語っている。 今回紹介する『パガニーニの主題による変奏曲』(2011)では、ヴァイオリンのこれまたヴィルトゥオーゾである N. パガニーニの『24のカプリス』第24曲の主題を基にして14の変奏が繰り広げられる。この主題はアムランの他にも、 F. リスト、 S. ラフマニノフ、 J. ブラームスや W. ルトワフスキなど時代問わず多くの作曲家によって変奏がなされているので、この主題旋律が耳に馴染んでいるという人も多いのではないだろうか。 この変奏曲は、アムランの他の作品がそうであるように、変奏の一つ一つが技巧とユーモアを兼ね備えている。もしかしたら、「技巧をひけらかすため『だけ』に作られた音楽」を彼が嫌っていること、技巧と内容は両輪の関係にあるという彼の考えを反映しているのかもしれない。特に、他作曲家の作品からの引用が多くなされている。これはB .A.ツィンマーマンに代表されるいわゆる「コラージュ技法」によるものと思われる。この手法は、逸脱的芸術からの回帰を図るマニエリスムの作曲家たちが広く行っているものであり、アムランの作品の中に完全に逸脱したものが少ないということからも察しがつくのではないだろうか。
2.解説 主題 N.パガニーニ:『24のカプリス』op.1より第24曲主題。主題の描き方らして既に彼らしい。 第1変奏 F.リスト:『マゼッパ』S139-4 に見られる音形に酷似している。 第2変奏 この旋律はA. E.ヒナステラ:『ピアノソナタ第1番』作品22 第2楽章 によるものではないかと僕は思うのだが、C.ヴァインの『ピアノソナタ第2番』第2楽章を真似たのではという説もあり、実際のところははっきりしない。
第3変奏
恐らくアムランの自作である。なんとも滑稽な旋律である。途中で転調を行う。
第4変奏
これも恐らく自作である。
第5変奏
一転して静かになる。おどろおどろしい不協和音が連続するが、少し分析をすれば見えるように、左手の音を見れば、主題の旋律というよりも和声の進行に重点が置かれている。つまり、わざわざ現代音楽っぽくしているだけで、変奏自体はしっかりと進めているのだろう。F.ショパンの『舟歌』op.60のフレーズがコーダ風に現れる。
第6変奏
第5変奏の続きのような感じを受けるが、一層もやがかかったようにも感じられる。左右交互の六連符の連続である。
第7変奏
先ほどまでの静けさが続くかと思いきや、L.v.ベートーヴェンの30番ソナタop.109の第3変奏が唐突に現れる。その旋律はほぼ完全に真似た状態であり、先の第5、第6変奏の現代音楽的不協和音と対比される形となり、厳格な対位法によったその旋律の古典的な性格を強調することに見事に成功している。
第8変奏
恐らく自作である。第7、第8小節での連符が、せき立てるような、目を引く効果をあげている。
第9変奏
まるでアルペジオの練習曲のようであるが、C.P.E.バッハ:『小ソルフェージュ』と和音進行が似ているように感じられる。
第10変奏
これはいわゆる「点描主義」である。点描主義と言えばA.ヴェーベルンだが、この変奏はA.ヴェーベルン:『変奏曲』op.27 第2変奏に似ているような気がする。そしてS.ラフマニノフ:『パガニーニの主題による狂詩曲』op.43の終止に似た終り方をする。
第11変奏
この変奏はアムランのユーモアが最大限に表れている箇所ではないだろうか。数回登場する神秘的な(と言ってよければ)下降旋律は、A.E.ヒナステラ:『ピアノソナタ第2番』op.53 第2楽章に似てはいないだろうか。時折、サルサ音楽のリズムが出てきたり、J.ブラームス:『ハンガリー舞曲第5番』WoO.1 - 5、L.v.ベートーヴェン『交響曲第5番』第1楽章終止などの旋律が挟まれる。
第13変奏
再びラフマニノフのパガ狂である。今度は第18変奏からの引用だ。この変奏ではほぼ数拍ごとに転調が繰り返され、12の調すべてが現れる。
第14変奏 少しすると突然オクターブでE♭音だけが宙に浮き、F.リスト:『ラ・カンパネラ』が流れ出すが、低音部ではしっかりとパガニーニの主題が弾かれている。が、これはリストが「自分はピアノのパガニーニになるのだ!」と息巻いたエピソードに関係があるように思えてならない。しばらくするとリストの旋律は16分音符の連続へと変容していき、ついに激しさを増した6連符がG#音へと駆け上り、荒々しい打楽器的な和音によって後半へと突入する(*3)。不協和な音程が至る所に付加されもはや荒々しいと言うより誇大主張をしているとでもいうべき旋律が8分の6拍子で駆け抜け、4分の2拍子になったところでついにその音は崩落し、そのままffffまでcresc. した音でAmの和音を奏して潔くこの変奏曲を終止する。
(*1):特に、彼は ゴドフスキーの『ショパンのエチュードによる53の練習曲』の全曲録音によって2000年度グラモフォン賞を受賞している。
(*2):ガンツはまた、カール大帝の末裔を自称していた事でも有名である。
(*3):この第14変奏後半は本来フィナーレとして「第15変奏」とでもされるべきだったと思うのだが、アムランはあくまでこれらをひとくくりにしている。なぜなのかはよく分からない。
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3曲目は
P.チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調
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チャイコフスキーが書いたピアノ協奏曲のうち、最も頻繁に演奏され有名な作品が「第一番」である。ピアノ協奏曲第一番はロシア的主題も使ったスラヴ的重厚な線の太さと色彩的な管弦楽法が魅力となり、今日では一流のピアニストが競って演奏する曲となっている。
チャイコフスキーは1874年11月から12月の1ヶ月間で作曲した。当時の彼は34歳、モスクワに住み、モスクワ音楽院教授の職に就き多くの作品を発表して、作曲家として著名であった。モスクワ音楽院は1866年9月に師のアントン・ルビンシテインによって開設され、チャイコフスキーは開設当初から迎えられていた。しかし、この曲の完成には非常に苦心したらしく、弟のアナトーリーへの手紙に「この仕事はなかなかはかどらなくて自分に書けそうもないような気がする。僕は頭を絞って考え抜いている」と書いている。
この曲が完成するとチャイコフスキーは、モスクワ音楽院の初代校長で全ヨーロッパじゅうに知れ渡っていたニコライ・ルビンシテインからの批評を仰ごうと、1874年12月24日の夜、同僚であったアーベルトとともに音楽院の教室に来てもらい、チャイコフスキー自身が試奏して聴かせた。彼はモスクワ楽壇の重鎮である二人からの好意ある批評を期待していたが、演奏を聞き終わっても二人は黙っている。意見を求めたところ、ルビンシテインは激しい語調で、この曲はピアノに不適当だ、けばけばしい、独創性がない、等と散々にけなした。憤慨したチャイコフスキーが教室を走り出て別室で気を鎮めていると、ルインシテインが後を追ってきた。ルビンシテインはチャイコフスキーを別室に招き、この曲が演奏に適さないことを重ねて説き、書き直すなら演奏会で自分が初演してあげまいものでもないと言った。しかし、かねてからこの曲に自信を持っていたチャイコフスキーは訂正を拒否する。初演してくれるピアニストを探し、ついにドイツで彼の作品をよく演奏してくれたハンス・フォン・ビューローに楽譜を送り、適当な機会に初演してくれるよう頼んだ。ビューローはこの曲が極めて独創的で驚嘆な名曲である旨を書き送り、たまたまアメリカで演奏旅行する約束があったので、彼はその楽譜を携えてアメリカへ渡った。初演は1875年10月25日にボストンで初演が行われ、大成功であった。続く11月のモスクワでの初演も大好評であった。というわけで作曲されてから1年近く経ってボストンで初演が行われた訳だが、ルビンシテインは初演から3年後チャイコフスキーに謝罪し、この曲を彼の演奏曲目に取り入れるようになったため二人の友情も元通りとなった。ルビンシテインがこの曲を罵倒したのは、チャイコフスキーがピアノの大家として自他ともに認める自分に教えを乞うことがなかったからだと言われ、のちにこの協奏曲が各国のピアニストに取り上げられるようになったため、チャイコフスキーに謝罪しなければいけなくなったと言われている。
1889年、チャイコフスキーはこの曲に手を入れて現行のものとした。ルビンシテインの死から8年後のことであった。
第一楽章: Allegro non troppo e molto maestoro 変ロ短調 四分の三拍子
4本のホルンが主奏する変ロ短調の導入に続いて、ピアノの和音の演奏とともに変ニ長調の主題がチェロとオクターブをなす第一ヴァイオリンとの主奏で開始される。次第に高揚、ピアノがカデンツァを奏し、再び同主題がピアノの強奏和音とともに新たな発展に入る(なお、再現部に再現をしない)。ここまでが壮大な序奏部。続いて変ロ長調の独走で新しい主題(主題1と名付けよう)が現れる。(また、この主題も再現部に再現しない。この主題はチャイコフスキーがカメンカの町で盲目の乞食が歌っているのを聞いて採譜したものとされている。第二主題(そのまま主題2とする)は変イ長調でまずクラリネットに現れピアノが反復する。第二主題の継続ともいえる副次的主題(ここでは主題3と名付ける)は展開部や終結部で重要な役割を演じる。展開部では主題1と主題3が絡み合いピアノを中心に変転。主題1による華々しいピアノ独奏に導かれる形で、変ロ長調で再現し、カデンツァを経て主題3による終結部に入る。最後は変ロ長調で終結。
第二楽章:Andantino semplice 変ニ長調 八分の六拍子
三部形式によった美しい歌謡楽章で、平和な田園的のどかさを持っている。牧歌調のAndante主題は弱奏ピッツィカートに伴奏されるフルートの独奏で始まり、次にピアノ→チェロ→オーボエの順に交替演奏される。中間部は気ぜわしい曲調に変化するが、第三部で牧歌は再び現れ、変奏反復される。
第三楽章:Allegro con fuoco 変ロ短調 四分の三拍子
スラヴの舞曲のような線の太い主題によったロンドの終曲。ロンド主題はピアノの独奏によってはじめられ、ヴァイオリン主題の歌謡風の第二主題が変ニ長調に現れる。この主題は終結部の直前に変ロ長調に再現反復されるのだが、そこでは高潮を示し、クライマックスを築いて終りを告げる。
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そして、最後に聴いた曲目は...!
S.ラフマニノフ: ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調
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この曲は屈指の美しさによりラフマニノフの協奏曲作曲家としての名声を打ち立てた出世作であり、ロシアのロマン派音楽を代表する曲の一つと数えられる。他曲と同様にピアノの難曲として知られ、高度な超絶技巧を要する。
ラフマニノフの交響曲第一番は(今日では重要な業績と看做されているが)、発表当時は批評家からの酷評に遭い、彼は鬱傾向と自信喪失に陥り創作不能状態となる。1899年にロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスにわたったラフマニノフはここでピアノ協奏曲の作曲依頼を受け創作を開始するが、間もなく強度の精神衰弱に陥る。しかし、1900年に友人の勧めでニコライ・ダーリ博士の催眠療法を受けると快方へ向かい、1901年には全曲を完成させた。初演は大成功、その後も広く演奏されて圧倒的な人気を得た。この曲はラフマニノフの数年間にわたる鬱病とスランプを抜け出す糸口となり、ラフマニノフの回復に全力を尽くしたニコライ・ダーリ博士に献呈された。
第一楽章: Moderato ハ短調 二分の二拍子
ピアノ独奏がロシア正教の鐘を模した、ゆっくりとした和音連打を打ち鳴らす。最高潮に達したところで主部に。主部ではオーケストラのTuttiがロシア的性格の旋律を歌い上げる。長い第一主題の呈示が終わると変ホ長調の第二主題が現れる。この抒情的な第二主題はまずピアノに登場する形をとるのである。目まぐるしい展開部では両方の主題の音型を利用しており、その間に楽想がゆっくりと形成される。再現部ではピアノの伴奏音型を変え、第一主題の前半は行進曲調で再現された後、移行句なしで第二主題が再現され、コーダの準備に入る。
第二楽章: Adagio sostenuto ホ長調 四分の四拍子
第一楽章と対をなす緩徐楽章が弦楽合奏によって始められる。序奏はハ短調の主和音からホ長調へと転調し、ピアノ独奏を呼び入れる。ピアノのリズム上にフルートのメロディがかぶさる形となり、その旋律はクラリネット・ピアノ・ヴァイオリンへと受け継がれる。第二主題はピアノが短調を奏で、低弦やフルート、ピアノソロの後にはオーケストラ全体と絡み、カデンツァへ。再現部では最初のメロディをヴァイオリンが奏で、終結部はピアノが静かに締めくくる。
第三楽章: Allegro scherzando ハ短調〜ハ長調 二分の二拍子
明確な二つの対照的な主題を持ちながら、全楽章のモチーフを断片的に使ったり二つの主題を融合させたりなど、既存の形式にこだわらない自由な書法で書かれている。スケルツォ的な第一主題と抒情的な第二主題が交互交互に現れ、最後のピアノのカデンツァの後にハ長調で二つの主題が融合されて盛り上がるシーンはまさに圧巻である。
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とりあえず解説だけ載せておきました。今回の曲目は以上となります(どの曲も全楽章は聴けなかったけど...)。ピアノ協奏曲が多めの回でした。次回もお楽しみに!